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霧島市, 鹿児島県, Japan
造園施工管理技士、土木施工管理技士、公害防止管理者(大気、水質各1種、 騒音、振動)

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2019年4月19日金曜日

イペーの木を受け取りに:茨城 - 鹿児島3泊4日のドライブ

常総市 相澤さんの紀行文です:

人生最長のドライブが終わった。3泊4日で鹿児島まで片道1400キロを往復する旅、そろって還暦越えの男3人が交代でハンドルを握った。強行軍に僕は、周囲に行き先を伏せて出発するほどだった。ひとまず無事に帰ったものの、人生初の、そして最後になるに違いない、列島横断の長距離ドライブとなった。

常総市生まれのジュージ社長が、鹿児島の霧島市まで「イペーの苗木を取りにいこう」と誘ってきた。イペーは南米原産でブラジルの国花になっている。ノウゼンカズラの仲間だそうだが、春に黄色い花をつけた後、葉を芽吹かせることから、日本の桜のように扱われる。ジュージ社長は、近年ブラジル人の移入が顕著な常総市で、交流のシンボルツリーにふさわしいとイペーの花咲くまちづくりを提唱した。

彼が偉いのは、言い出しっぺの率先垂範。ここ2、3年、市庁舎や公共施設の敷地に植樹してきたが、耐寒性に優れた「池前アルバ」という品種が作出されたと聞きつけ関心を持った。霧島市で「イペー研究会」を立ち上げ、品種改良に取り組む造園施工管理士の前田久紀さん(78)が育てていた。問い合わせると、ふたつ返事で無償で苗木を提供してもらえることになった。

前田さん宅のイペーの木
黄色い花を咲かす前田さん宅のイペーの木

前田さんはこれまでも、同県鹿屋市や山口県柳井市にイペーの木を提供してきたが、常総市は最北になる。耐寒試験でマイナス9.1℃の極寒もクリアした品種にふさわしい環境に思えたが、輸送法が問題だった。苗木の宅配便は取り扱う業者が少なく、送る場合でも1本1本梱包しての輸送となるためコストが膨らむ。なので、ジュージ社長が出した結論は「車で取りにいく」。イペーの黄色い花が咲く時期を選んで、受け取りの日程を組んだのだった。

同行のドライバーに選ばれたのは、僕と常総市民のシゲルさん。農作業の経験豊富なシゲルさんはともかく、僕は草取りもすぐに投げ出す軟弱者の上、運転嫌いの表六玉。最初に提示された2泊3日のスケジュールに異を唱え、「とにかく夜はベッドに寝かせてくれ」を条件に引き受けたのだった。

初日は朝6時に常総市を出発して、首都高経由で東名から新東名、新名神、山陽道と進んで関門橋を渡って九州入りし、門司で1泊。翌2日目は朝7時に宿を出て、九州道を南下し11時30分ごろ霧島着。驚くことに、ここまでジュージ社長氏が立てた事前の旅程にほとんど狂いがなかった。最近のナビの精度と性能アップには驚かされる。

現地では圃場に植わる約80本の苗木を掘り起こし、長さをそろえて梱包しSUV車に積み込んだ。挿し木で育てた苗木だそうで、4年生の長いものは約2メートル、車内のフロントガラスからリヤウインドーいっぱいの場所を取る。前田さんはどこまでも気前よく、イペー以外にも栽培している珍品の植物を次々に持たせてくれるから、車内は植物でぎっしり。運転席と助手席の間に苗木の先端が割り込み、後部座席は1人が座れるスペースを確保するのがやっとだった。

作業はほぼ2時間で終了。せっかく鹿児島まで来たのだから「桜島を見ていこう」と錦江湾の国分海浜公園まで行ったが、噴煙あげる桜島を背景に証拠写真を数枚撮っただけで、即行帰路に就くあわただしさ。午後2時30分発、東九州道から北上して九州を縦断、前夜通った関門橋を渡って宿のある広島に着いたのは夜11時過ぎだった。

桜島を臨んで証拠写真の撮影
桜島を臨む浜辺で証拠写真の撮影

3日目は朝7時30分、宿を出て広島平和公園を訪ねてから往路を逆走、富士山麓の足柄サービスエリアに着いたのは午後8時ごろ。曜日と時間帯から、この先東京方面の渋滞が懸念されたため、入浴・宿泊施設のある同SAに1泊する日程を組んだのだった。しかし温泉浴の効果を実感するいとまもない。翌朝8時には出発し、圏央道経由で常総インター着は午前10時ごろ。運転手交代のためにサービスエリアで乗り降りする時間を除けば、車内での動作はほとんどなく、首や肩筋の張りがたまる一方だった。

「いやあ、どうなることかと思ったが、意外なほど順調だった。また来たいね」と元気なのはジュージ社長だけで、僕は即座に「金輪際断る」と拒絶。シゲルさんは素知らぬ風、車中で居眠りを続けるのだった。

それでもジュージ社長は黄色いイペーの花のまちづくりを熱く語る。花は一時だが、枝を煮出して作る草木染めの「黄色いハンカチ」で町なかを飾るのはどうだろうかと構想を練る。花とハンカチで「お帰りなさい」とばかり、ブラジル人を迎えるのだと国際交流の夢を描かれては、最早「手伝えない」とは言えないではないか。

持ち帰った80本の苗木は、その日のうちに常総市の圃場に植えられた。



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