自己紹介

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霧島市, 鹿児島県, Japan
造園施工管理技士、土木施工管理技士、公害防止管理者(大気、水質各1種、 騒音、振動)

山岳関連のホームページも是非ご訪問ください!(下記をクリック)

2016年3月5日土曜日

コチャバンバとラパスから来たジャカランダの故郷の気候


①コチャバンバのジャカランダ
「キリストの丘」(標高2,840m)と「コチャバンバの街」の2種類で和田さんからのものです。
コチャバンバの気候を調べました。気温の最低記録は零下6.7℃です。
この記録は勿論観測所(どこにあるか不明)のデータです。
キリストの丘は街より約250m高いので、さらに寒いと思われます。

 コチャバンバの気候

Climate data for Cochabamba
MonthJanFebMarAprMayJunJulAugSepOctNovDecYear
Record high °C (°F)35.0
(95)
30.0
(86)
30.6
(87.1)
30.0
(86)
28.9
(84)
30.0
(86)
28.3
(82.9)
30.6
(87.1)
30.6
(87.1)
32.8
(91)
31.7
(89.1)
32.8
(91)
35
(95)
Average high °C (°F)23.9
(75)
23.3
(73.9)
24.4
(75.9)
25.0
(77)
24.4
(75.9)
23.3
(73.9)
23.3
(73.9)
23.9
(75)
25.6
(78.1)
26.1
(79)
25.6
(78.1)
25.0
(77)
24.5
(76.1)
Daily mean °C (°F)18.1
(64.6)
17.5
(63.5)
17.5
(63.5)
16.4
(61.5)
14.2
(57.6)
12.2
(54)
12.5
(54.5)
13.9
(57)
16.7
(62.1)
18.1
(64.6)
18.3
(64.9)
18.3
(64.9)
16.1
(61)
Average low °C (°F)12.2
(54)
11.7
(53.1)
10.6
(51.1)
7.8
(46)
3.9
(39)
1.1
(34)
1.7
(35.1)
3.9
(39)
7.8
(46)
10.0
(50)
11.1
(52)
11.7
(53.1)
7.8
(46)
Record low °C (°F)7.2
(45)
3.3
(37.9)
2.2
(36)
−1.1
(30)
−4.4
(24.1)
−6.7
(19.9)
−5.0
(23)
−5.6
(21.9)
−3.3
(26.1)
0.0
(32)
5.0
(41)
5.6
(42.1)
−6.7
(19.9)
Average precipitation mm (inches)94.0
(3.701)
68.8
(2.709)
38.4
(1.512)
12.7
(0.5)
2.3
(0.091)
1.3
(0.051)
2.5
(0.098)
7.6
(0.299)
6.1
(0.24)
20.8
(0.819)
38.1
(1.5)
70.1
(2.76)
362.7
(14.28)
Source: Sistema de Clasificación Bioclimática Mundial[4]
 
以下和田さんのブログを転載:
標高2840メートルのコチャバンバのキリスト像公園でジャカランダとテコマの種を五味さんと採集しました。
コチャバンバ第2日目の土曜日にコチャバンバの観光スポットように1994年11月20日に建造されたキリスト像の台が置かれている市内を一望する丘の上に展望台等
360度の景色が楽しめる公園にジャカランダの木とテコマの木が植えられており、公園建設が1994年ですので多分樹齢20年程の木々で街ではジャカランダの花を付けた木が見られましたが、2840メートルの公園のジャカランダは、沢山の昨年咲いた花のサネが多数ぶら下がっていましたが手が届く高さでないので五味さんが太い枝を揺さぶって落ちて来たサネを持ち帰りホテルで種を採集しました。
ジャカランダと並んでテコマの花が咲き沢山のサネがぶら下がって居り手の届きそうな枝からの功労していたら背の高いボリビアーのが手伝って呉れ種の沢山入ったサネを採集して呉れました。正真正銘の標高2840メータの場所に植わっていたジャカランダとテコマの種を採集出来ましたので帰国次第前田さんの所に送ります。
有隅先生から宿題として高所のコチャバンバ盆地、ウユニ(標高4000メートル)、ラパス等にイペーが植えられていないかどうかCHKするようにと云われて居り注意して見ていますが、コチャバンバの街には、ジャカランダの木とテコマは多数見掛け、季節外れに沢山花を付けているのは見つけましたが、残念ながらイペーの植栽は見つけ出すことはできませんでした。
4日目の今日の午後コチャバンバの街の中心地の公園にイペーロッショの花が咲いているのを見つけて写真に収めましたが黄色いイペーの木は残念ながら皆無でした。以前五味さんがイペーではないかと日本に種を送ったテコマは、街の街路樹として方々に植えられて居り種を撒き散らしながら黄色い小さな花を付けていました。
関係写真を貼り付けて置きます。
 
イメージ 1




イメージ 2

 

イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5
転載終り:

②ラパスから来たジャカランダ
前田農園で、1月25日未明の零下9.1℃に耐えた。





 
ラパスの気候も調べました。ここのジャカランダも有隅先生経由で育っています。この親木は標高3,300mにあるとのことです。
街の標高は4,100mで、気温の最低記録は零下11℃です。
今冬、畑で零下9.1℃を経験(ビニール保護)しましたが、
樹高約25cmの先端が5~8cm枯れましたが、胴吹きで新芽を多数出しています。

ラパスの気候

標高が高く、気候は高山気候に属する。

2016年2月17日水曜日

イペーの幼苗達の様子:2016.2.17

   写真説明の文章のなかで、②③⑤以外は種子をお送り頂いた方へのメールの転載です。写真はすべてクリックすると拡大します。
①ブラジリアからのイペー3種

  須貝さん    前田です
イペーの生育状況の2回目のご報告です。昨年11月2日に播種しています。
室内で温度管理をしています。
写真左から、No.1セラティフォーリア、No.5ブランコ、No.6ヴェルディです。
同時に播種したのですが、ずいぶん大きさに差が出ました。
ブランコとヴェルディは耐寒性が全くダメですので、鉢植えで頑張るしかありません。
セラティフォーリアがどの程度の耐寒性か、興味があります。

 ②ボリビア、ポルトアレグレとクリチーバ混成チーム
  右からコチャバンバの町中のジャカランダ(五味さん⇒和田さん)、ポルトアレグレのアルバ(和田さん)、コチャバンバの「キリストの丘」のジャカランダ(五味さん⇒和田さん)、クリチーバ(池田さん)からの樹高4m以下のロッショ、ボンビニアスのロッショと同じ親木の稚樹開花のロッショ(池田さん)。

③ クリチーバのジャカランダなど
  右からクリチーバ市のメルセス通り県庁前の花色が濃紫色カローバ似のジャカランダ、イペーアマレーロ ボンボリ 葉裏が緑、ジャカランダ セントロシビコ。


④カサドールのイペーアマレーロ
  親木はカサドールの小さな公園にある、樹齢約50年、樹高は約6mと小柄。写真の苗も今までになく小型です。

麻生さん 北沢さん        前田です
カサドールのイペーの種子の発芽状況の現状のご報告です。
まず、種子を有隅先生と小出さんと、私で三等分しました。
有隅先生は種子の保存技術をお持ちで、今春播種される予定です。
小出さんは播種されて20本発芽しています。
私は10本発芽しました。
わずか2莢の種子を大事にしてお届け頂き、何とか面目が立ちそうです。
あとは日本の気候に耐えて、立派に成長してくれればと思います。
耐寒性が一番の問題です。

⑤クリチーバ初夏咲き アノンロッショ
  1月24日播種 池田さんより。
  種子は大きくてしっかりしているように見えましたが、発芽率は10%程度。初夏咲きとのことですので、花蕾の寒傷みの心配がないのが魅力です。


⑥サンジョアキンからのイペー7種
   親木は、蕾が零下9℃を経験しても開花したという耐寒性抜群の樹種で、期待している。関係者の大変な努力で種子を入手できた。


Sr. Dr. Adilson e Sr. Sebastião e Sr. Ikeda

Eu foi semeada em 2 de Fevereiro.
Todos de 7 tipo germinadas.
Cada tipo encontra-se em cerca de 30 linhas.
Essas mudas são ajuste de temperatura na sala.
Hisanori Maeda
Abraço


-

2016年2月15日月曜日

耐寒性抜群のイペーが日本へ

   この度、ブラジルのサンタカタリーナ州サンジョアキン市で、2000年8月に経験した、気温零下9℃に耐えて見事に開花した、耐寒性抜群のイペーの親木から採種した7種類のイペーの種子を入手することができました。今回入手したこれらの種類や、今までに試験栽培した約50種類のイペーの栽培経験を生かし、更に品種改良を加えて、イペーを日本全国に展開するという夢を実現したいと考えています。
 

    以下は種子を送って頂いたブラジルの友人Dr. Adilsonさんのフェイスブックの転載です。

domingo, 14 de fevereiro de 2016


BRASIL + JAPÃO

CELEBRAÇÕES DOS 120 ANOS DE AMIZADE BRASIL-JAPÃO ! PROJETO CORES DO IPÊ – DE BLUMENAU SC – PARTICIPAÇÃO !
– Em 5 de Novembro de 1895 , o Ministro Plenipotenciário do Brasil, na França, Gabriel de Toledo Piza e Almeida, e seu homólogo japonês, Arasuke Sone, firmaram.em Paris, o Tratado, de Amizade, de Comércio, e de Navegação entre as duas Nações. Com o acordo, as relações diplomáticas entre Brasil e Japão, se iniciaram formalmente. No ano de 2015 em que se celebraram os 120 anos do acordo, muitos eventos que promovem a cultura Japonesa aconteceram no Brasil . No Japão, também muitos eventos que celebram, a cultura Brasileira, foram realizados. Culturais, esportivas, comerciais e acadêmicas.
Por feliz encontro, através do Blog Cores do Ipê, que registra nosso Projeto de Plantar Ipês em Blumenau e redondezas, recebemos ao contato, por email do Sr Hisanori Maeda, residente em Kirishima, Província de Kagoshima, Japão. Este senhor, com 75 anos de idade, engenheiro aposentado, trabalhou por 2 anos no Brasil, na Usina de Volta Redonda RJ na década de 70. Ao regressar ao Japão, iniciou ao plantio de ipês do Brasil, nossa árvore com Flor Símbolo do Brasil. Pois apaixonara-se por suas belas cores . E assim como a Cerejeira, árvore símbolo do Japão, produz floradas exuberantes e belas por poucos dias, mas que maravilham aos olhos de quem ama à Natureza. Há 35 anos, em seu pequeno sitio, em Kirishima, produziu mudas e exemplares que embelezam o Japão, colocando o Brasil, sempre como destaque , hoje com mudas e árvores de porte, em várias cidades japonesas.
 
Ao nos contatar pela primeira vez lá por junho de 2015, já nos fez várias perguntas sobre as espécies de ipês que teríamos em SC, e principalmente mostrou interesse por exemplares resistentes ao frio, mais precisamente, citou São Joaquim em Santa Catarina. Relembrava ele que no ano de 2000, São Joaquim em SC, havíamos tido o registro recorde de temperatura de - 9° C, no mês de agosto, seguindo-se de intensa nevasca. Logo a seguir um mês sêco e com calor elevado, havia eclodido uma florada espetacular em várias árvores da região. Estes dados coletados via internet, faziam identificar ao Sr Maeda que vive, em região com invernos semelhantes, de que as sementes de ipês da região da serra de Santa Catarina, poderia facilitar o plantio de novas árvores, adaptadas ao clima frio similar ao do Japão, onde vive. (São Joaquim - SC Brasil.)
- (Sebastião Alex Waltrick)
São Joaquim, terra de nosso progenitores Edison e Antônia, ligações afetivas com à terra joaquinense, nos facilitou o contato com Sr Sebastião Alex Waltrick, técnico agrícola e estudioso da flora da região. Seguimos a orientação dele para que a coleta fosse realizada no mês de janeiro, pois é o período em que as vagens com sementes de ipês, naturalmente abrem e espalham ao vento as pequenas sementes, que também alimentam periquitos, que ajudam disseminar novas plantas. Num trabalho espetacular, Sr Sebastião Alex Waltrick, selecionou 8 árvores da região, colhendo sementes e catalogando com registro de Coordenadas Geográficas, de cada árvore. Procedeu a contagem de sementes por vagem e a totalização de sementes. Condicionado em caixa especial, nos enviou à Blumenau.

Ainda ao longo do ano de 2015, vimos citações, entrevistas e fotografias do nosso Projeto Cores do Ipê de Blumenau, sendo mencionados pela NHK, rede de Televisão e Rádio Japonesa, a “TV EDUCATIVA” daquele país, divulgando nosso trabalho, através do Sr Hisanori Maeda e Professores Eméritos da Universidade de Kagoshima, o que nos orgulha sobremaneira.
Nesta troca de gentilezas, nenhum custo ou trabalho foi cobrado do Sr Hisanori Maeda e Professôres da Universidade de Kagoshima. Numa troca de gentilezas, soubemos que estaremos recebendo em breve,num gesto simbólico , um legítimo Kimono JINBEI, vestimenta que cobriu nobres famílias distintas do Japão, como sinal de grande honraria. ADILSON TADEU MACHADO e JOSÉ GERALDO REIS PFAU. Projeto Cores do Ipê. Blumenau SC – 07/02/2016.

2016年1月26日火曜日

霧島市の異常寒波の記録:2016.1.25

  2016年1月25日未明の、近年にない寒波の記録です。24日の朝から雪が降り続き、拙宅の庭で15cm積りました。今日現在、前田農園の今冬の気温最低記録は室蘭の零下7.7℃(1月11日)を下廻っています。日本全国の最低気温に関する情報を得られるサイトを、最下部に添付いたしました。
 前田農園       -9.1℃(自宅から直線700m 標高9m)
 溝辺観測所     -10.7℃(自宅から直線10.3Km 標高272m)
 牧之原観測所    -8.6℃(自宅から直線8.1Km 標高387m)
 (さいたま市弟の畑 -7.0℃)

下の動画は1月24日の様子です。

冬季の日最低気温(その年の1日の最低記録)の直近10年間の平均値(前田算出)
    霧島市溝辺観測所(自宅の近く、直線10.3Km 標高272m)   -5.3℃
        霧島市牧之原観測所(自宅の近く、直線8.1Km 標高387m)   -4.6℃       
        さいたま観測所(伊奈町大針から南へ16Km)             -5.8℃
        府中観測所(深大寺から西へ6Km)                     -5.4℃
        館林観測所(大泉町役場から東へ10Km)                -4.5℃
        横浜気象台(鶴見区役所から南へ8Km)                 -0.3℃(零下にならない年が2年ある)

2012年2月3日の低温記録:
     鹿児島市 -2.9℃    
        霧島市溝辺 -7.7℃(自宅の近く、直線10.3Km 標高272m)    
        霧島市牧之原-6.4℃(自宅の近く、直線8.1Km 標高387m)   
        浜松 -2.8℃    
        天竜 -5.6℃    
        つくば -7.7℃


表-1: 霧島市(牧の原)、東京都(練馬)、茨城県(筑波)の気温とサンジョアキン、カンポスドジョルドンの最低気温、日平均気温の比較
     最低気温の平均値と全日平均値は、日本の3ヶ所は15年、ブラジルの2ヶ所は約40年の平均値


 グラフ-1: 霧島市、東京都、茨城県、サンジョアキン、カンポス ド ジョルドンの気温(表-1をグラフにした)


日本全国の観測所の2015年冬の最低気温:
       http://weather.time-j.net/Winter/LowestList/2015  
日本全国の観測所の2016年冬の最低気温(1月25日現在):
       http://weather.time-j.net/Winter/LowestList/2016





2016年1月17日日曜日

地球温暖化詐欺の真相

 近年取りざたされている地球温暖化の原因は大気中の二酸化炭素などの、いわゆる「温暖化ガス」が原因ではないようです。まず、下のグラフをご覧ください。地球の気温が上昇した後で、約1年遅れで二酸化炭素が増えています。大気中の二酸化炭素の量は海水の二酸化炭素の保有量に最も大きな影響を受けます。海水の温度が上がれば、二酸化炭素の溶存許容量が減少して大気中に放出されます。広くて深く、マスの大きな海水の温度は数百年前からの気象条件と、例えばエルニーニョ現象などの短期的な気象条件の影響を受けて決まるとのことです。
  ここでは、せいぜい数年から数十年の話をしますが、長期的には地球が太陽を廻る公転の軌道に大変大きな影響を受けます。10万年続いた氷期のあとに1万年の間氷期が訪れますが、地球の公転の軌道が太陽に近づく1万年のみ氷河が少ない間氷期なのです。現在この間氷期は13,000年続いており、急速に氷期に突入するはずです。氷期と間氷期の地球の温度差は10~15℃とのことです。
  短期的には地球の気温は、太陽の活動に支配されるようです。太陽の活動が活発で黒点数が多いほど、他の星から飛んでくる宇宙線が吹き飛ばされて少なくなるため、雲の核が減り雲ができなくなり地球は温暖化し、黒点が少ないほど宇宙線が 増えるので雲が多くなり寒冷化します。数年先に向けて、この太陽の活動が沈静化して、地球は寒冷化に向かうと考えられています。 少しでも多くの人間が少しでも長く生きのびるために、耐寒性の強い農作物の開発を急ぐ必要があります。
 大気中の二酸化炭素の割合は0.05%以下で、人為的に作り出される量はその数%です。大気中の二酸化炭素が増えるからものを燃やすななどという間違った政策でどれほど人類に弊害をもたらしているか、先進国政府及びその手先のIPCC( Intergovernmental Panel on Climate Change)は反省すべきです。最大の問題は、従来のウソが世界を騙し、一部の研究者の予算獲得や原発事業推進など大型設備投資を狙う業者の策略に利用されていることです。アフリカでは、太陽光発電でどうやって製鉄所を動かすのかと聞いています。
 
  引用した動画はイギリスのチャンネル4が制作したもので、判りやすく説明しており、2014年にこのブログで別のサイトからもご紹介しています。1時間以上かかりますが、どうか頑張ってご覧ください。この程度の番組はNHKでも制作する能力はあると思いますが、日本政府の言論統制のため制作できないのでしょう。
 槌 田 敦 氏(高千穂大学)の日本物理学会誌の記述に感銘を受けましたので付記します。
「深刻な影響を残すCO2 温暖化説」
 このような多数の事実を無視するCO2 温暖化説は,現代における「壮大な迷信」と言ってよいだろう.そして,この「迷信」を人々が信じたばかりに世界の炭鉱は次々と閉鎖・破壊され,石油枯渇後の貴重なエネルギー資源が採掘不可能に追い込まれている.また、原子力発電が復活し,放射能という猛毒を大量に発生させ,巨大事故の心配を増やし,その後始末を子孫にさせようとしている.さらに,この「迷信」の流行により,人類史にとってもっとも深刻な寒冷化問題(飢餓)を人々は忘れてしまった.気象学は物理学の一分野である.物理学者がこの問題の多いCO2 温暖化説を議論もせず放置するなら,「物理学者の責任」とは何だったかということになる.

  参考文献:
①地球温暖化の原因は大気中のCO2濃度と無関係 :丸山教授     
   http://kirishiman.blogspot.jp/2014/02/co2.html
【天気投稿原稿(再改定)08.11.26】  大気中のCO2濃度増は自然現象であった
     Ⅰ.その原因は気温高である    近藤邦明・槌田敦
http://www.env01.net/main_subjects/global_warming/contents/s003/rep01.pdf#search='%E6%B0%97%E6%B8%A9+%E4%BA%8C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%82%AD%E7%B4%A0+1%E5%B9%B4%E9%81%85%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1'
 
以下、引用です・引用元:「新版 Keelingのグラフ解釈に対する考察」槌田敦(HP管理者近藤邦明)

         画面をクリックすると鮮明になります。
資料-2
  上のグラフの測定値はマウナロア山と南極で測定されたCO2濃度の平均値と世界平均気温です
 
 
地球環境研究センターHPより引用:

   全画面表示でご覧頂けます。  制作:チャンネル4


-

2016年1月14日木曜日

Beguine the begin the 2016:黄昏のビギン

 
   正月早々、おめでたいパソコンカラオケで 「黄昏のビギン」。
    作詞:永六輔
    作曲:中村八大   
      原曲は水原弘の歌で、1959年10月東芝レコード発売です。


 
 

2016年1月2日土曜日

2015年末に播種したイペー達の様子

   昨年末に播種したイペーとジャカランダの1月2日の様子です。盛んに伸びているので液肥をやることにし、施肥前に写真撮影しました。保温はサランラップでトレーを覆って部屋の窓際に置き、サランラップの隙間で温度調節をします。部屋のガラス越しの日光で40℃を簡単に超えるので注意が必要です。

 ブラジリアの須貝さんからの種子3種:11月2日播種・樹種で発芽と成長速度に大差がある。
    画面をクリックすると鮮明に拡大します。
DSC04262

   P.A.の和田さん、Cr.の池田さんからの種子5種:11月16日播種
DSC04263

  池田さんからの種子3種:12月4日播種
DSC04264




2015年12月10日木曜日

イペーの木の歌 "Pé de Ipê"

  今年は「日伯修好120周年記念」の年ですので、ブラジルの国の花であるイペーの歌「Pé de Ipê」を歌いました。 ブラジルのメル友、吉田さんの特段のご配慮でサンパウロの Ensinai Escola de MusicaのFred Henrique先生に わざわざ楽譜を作製して頂き、大変感謝致しております。懸命に楽譜を探したのですが、入手できなかったため、先生に採譜して頂くことになりました。
  歌詞も先生の楽譜に記載されているものを使わせて頂きました。 調べると限りない数の「Pé de Ipê の歌詞」が存在しますが、先生のものが「正統派」のような気が致しております。 私は老人性難聴のため、楽譜がなければ不安で歌えませんので、心から感謝致しております。
  この歌の練習に約1年かかりました。昨年7月の人間ドックで胆嚢に異常が見つかり、12月22日に全摘手術を受けました。2週間後に病院に呼び出されて、ステージⅡの進行性癌だったと言われ、半年間の抗がん剤投与を受けました。やっと元気が出ましたので頑張って歌いました。 歌はヘタですが、お許し下さい。 パソコンカラオケで初めて「一人二重唱」をやりました。
 少しでも多くの方々が「イペ音頭」と共にこの歌を歌っていただければ嬉しいです。

Eu cantei o  "Pé de Ipê"  para celebrar o "Japão-Brasil amizade 120 aniversário."
Prática de ”Pe de Ipe” foi necessário mais de um ano.
Eu sou muito grato ao professor Fred Henrique de Ensinar Escola de Música SP Brasil e gostaria de agradecer AUDIORIO que criou um acompanhamento. [Hisanori Maeda]
   





 Pé de Ipê                            

                                                                      Autor:Tonico

eu bem sei que adivinhava quando as vezes te chamava de mulher sem coração
minha voz as sim queixosa você é a mais formosa das caboclas do sertão
minha voz as sim queixosa você é a mais formosa das caboclas do sertão

certavez ti veum desejo de provaro mel de um beijo da boquinha de você

lá no trilho da baixada pertinho da encruzilhada de baixo de um pé de ipê
lá no trilho da baixada pertinho da encruzilhada de baixo de um pé de ipê

mais o destino é traiçoeiro e me deixou na solidão
foi se embora pra cidade me deixou triste saudade nesse pobre coração
foi se embora pra cidade me deixou triste saudade nesse pobre coração

quando eu passo a encruzilhada ainda a visto o pé de ipê
ainda canta o passarinho que me faz lembrar sozinho aquele dia com você
ainda canta o passarinho que me faz lembrar sozinho aquele dia com você



イペーの木楽譜-1
イペーの木楽譜-2

 ヤフー知恵袋に日本語訳をお願いしたものです。  

ベストアンサーに選ばれた回答



回答者:catcatdbrさん
2015/4/2810:57:26

質問を拝見しました。

牧歌的な古き良き時代、サンパウロ州の片田舎の風景が浮かんで来る歌詞、メロディーですね。
勝手に訳を付けてみました。 上手く伝わるかな?

「イペーの木」

僕は思い当たった事を覚えている
時々君を呼んだ時に
”思い遣りの無い女” と
僕の言葉が訴えたかったのは
”君は最も美しい
片田舎の娘の中で一番” と言う事を

ある時僕は、経験したいと望んだ
キスの蜜の味
君の小さな唇
あの坂道で
十字路の近くの
一本のイペーの木の下

だけど運命は裏切り者
そう、僕を孤独にした
君は都市(まち)に帰ってしまった
僕を悲しいやるせない気持ちにして
哀れな気持ちに

十字路を通る時
今でも僕はイペーの木を見る
今でも小鳥が鳴いていて
一人ぼっちを思い出させる
君とのあの日・・・。


-

2015年12月3日木曜日

三反園訓氏・鹿児島県知事選立候補関連報道・2015.12.2

 2015.12.2 TV報道:
 鹿児島県知事選挙は2016年7月の予定。
  三反園訓(ミタゾノサトシ)氏・ Wikipediaから引用:
  鹿児島県指宿市出身。鹿児島県立指宿高等学校、早稲田大学教育学部卒業後、1980年テレビ朝日入社。政治部の社会党担当を皮切りに政治記者に。総理官邸、自民党担当時代には金丸信元副総理や安倍晋太郎元外務大臣の番記者であった。 その後総理官邸、自民党、外務、防衛、大蔵各省庁担当のキャップを歴任。その後、解説委員に就任し、1990年頃からニュースステーションの政治担当キャスターになり、放送当時は連日国会記者会館からリポート。


  KKB-TV
 


 KTS-TV

2015年11月17日火曜日

通称イペー(旧学術名Tabebuia属)の分類

1.Tabebuia属の分類とIpe
 旧来、イペー(Ipe、Ipêという言葉は学術名タベブイア(Tabebuia)属の通称でした。タベブイア属は2007年に3種類の属に分割され、米国の植物分類学の雑誌「Systematic Botany Monographs」に掲載されました。
  タベブイア属はノーゼンカズラ科の顕花植物の中の一つの属です。1992年にタベブイア属の分類法の改訂で、99種と1種のハイブリッドが記述されました。その後のDNA配列の系統面における研究で定義されたタベブイア属には多くの系統がありましたが、2007年に三種類に分割されました。プリマベイラ(Roseodendron donell-smith)、および関連した独自の共通名を持たない種類(Roseodendron chryseum)はロゼオデンドロン(Roseodendron)に移されました。イペー(ipe)、紫イペー(pau d'arco)又はポウイ(poui)として知られているものはハンドロアンサス(Handroanthus)に移されました。67種がタベブイアに残りました。
   1992年にGentryが記述したタベブイアの、旧来の種類と99種の多系統グループは、現在、通常は「広義のタベブイア」と見なされています。
 属の名前(generic name)は、先住民族がこれらの木に用いていた言葉からきています。

   総括:
   1992年に定義した100種のTabebuia属を2007年に三分割した。
     ①ロゼオデンドロン[Roseodendron]属: It consists of two species, Roseodendron donnell-smithii and Roseodendron chryseum.
     ②ハンドロアンサス[Handroanthus]属:It consists of 30 species of trees poui, pau d'arco, or ipê.
     ③タベブイア[Tabebuia]属:1992年に定義した99種のタベブイアから、上記①②を除いた67種


引用したWikipediahttp://en.wikipedia.org/wiki/Tabebuia
Tabebuia is a genus of flowering plants in the family Bignoniaceae.・・・・(中略)・・・・
In 1992, a revision of Tabebuia described 99 species and one hybrid. Phylogenetic studies of DNA sequences later showed that Tabebuia, as then circumscribed, was polyphyletic. In 2007, it was divided into three separate genera. Primavera (Roseodendron donnell-smithii) and a related species with no unique common name (Roseodendron chryseum) were transferred to Roseodendron. Those species known as ipê, pau d'arco, or poui were transferred to Handroanthus. Sixty-seven species remained in Tabebuia. The former genus and polyphyletic group of 99 species described by Gentry in 1992 is now usually referred to as "Tabebuia sensu lato".
The generic name is derived from words used for these trees by the Indigenous peoples in Brazil.



2.Handroanthus の説明
  イペーアマレーロなどは Handroanthus属 の仲間です。
  Handroanthusはノウゼンカズラ科の顕花植物の属です。これは、一般的な名前のpoui 、紫イペ、またはIPEとしてラテンアメリカで知られており、30種の樹種で構成されています。後者は時々英語でEPAYと表記されます。大規模な樹種は時にはラパチョまたはguayacanと呼ばれていますが、これらの名前は、より正確には Handroanthus lapacho 種とHandroanthus guayacan種と標記されます。イペーアマレーロなどは Handroanthus属 の仲間です。
   引用したWikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Handroanthus
Handroanthus is a genus of flowering plants in the family Bignoniaceae. It consists of 30 species of trees, known in Latin America by the common names poui, pau d'arco, or ipê. The latter sometimes appears as epay in English. The large timber species are sometimes called lapacho or guayacan, but these names are more properly applied to the species Handroanthus lapacho and Handroanthus guayacan, respectively.


3.タベブイア(Tabebuia)の語源 
  タベブイア(Tabebuia)という名前は、1803年に植物文献に記載されました。アントニオ ゴメスが、彼がBignonia種としていた タベブイア ウリギノーサ(Tabebuia uliginosa)に一般名として使用したのが最初です。タベブイアは「アリの木」を意味するツピー語の「tacyba bebuya」の略語です。
 ブラジルの先住民族の間には多くの種類のタベブイアに対して似たような名前があります。
   
    引用したWikipediahttp://en.wikipedia.org/wiki/Tabebuia
The name Tabebuia entered the botanical literature in 1803, when António Bernardino Gomes used it as a common name for Tabebuia uliginosa, now a synonym for Tabebuia cassinoides, which he described as a species of Bignonia. Tabebuia is an abbreviation of "tacyba bebuya", a Tupi name meaning "ant wood". Among the Indigenous peoples in Brazil, similar names exist for various species of Tabebuia


4.イペー(Ipe)の語源
   イペーの語源を調べました。
 "Ipê"  "ipé"は、16世紀にブラジルの海岸に生活していた、トゥピ族の人々によって話されていた言語の ï'pé という言葉に由来します。トゥピ族の「ウヴァ茶」はこの樹皮です。

"Ipê" e "ipé" provém do
tupi ï'pé, "árvore cascuda"2 . "Pau-d'arco" é uma referência a seu uso, pelos povos indígenas do Brasil, como matéria-prima para confecção de arcos3 . "Ipeúva" significa, traduzido do tupi, "árvore da casca"4 .
 出典は下記です。タベブイアの説明の中の「Etimologia」(語源)の説明です。

    http://pt.wikipedia.org/wiki/Tabebuia

 サンパウロ市在住の松村滋樹さんから、「Cidades brasileiras cujos nomes têm origem no tupi-guarani e outros nomes」という資料を紹介して頂きました。先住民のトゥピ・ガラニー族の言語に由来するブラジルの都市名の解説書です。これに、サンパウロ州の「IPEÚNA市(人口現在6千人)」があります。
  IPEÚNA (SP)   y’pê: madeira de casca dura - ipê + una: escuro, preto. Ipê-roxo = y’pi’una: madeira de casca preta.
 IPEÚNAとは、黒いイペー、すなわち紫イペー、イペー・ロッショという意味です。

 出典は下記です。    http://www.paty.posto7.com.br/palavrastupiguarani.htm

タヒボ(Taheebo)は、インカ帝国時代に現地人がイペー・ロッショの一種につけた名前のようです(Walter Radames Accorsi 著「TAHEEBO」より)
          トゥピ族         





 写真は「IndiansTupi or not Tupi”」より引用 



5.旧タベブイア属検索表
  画面をクリックすると鮮明に見えます。
タベブイア属検索表---修正
コメント:
(1) 5の中のT.heptaphyllaの花色が黄色とありますが、T.impetiginosa同様の色の筈です。本文中では、ブラジル名でイペー・ロッショと明記されています
(2) T.serratifoliaの葉が「小葉は全縁」の仲間に入っていますが、種名自体は鋸歯のある葉を意味しますから、どう見ても矛盾しています
        クリチーバ市のルイ・バルボーザ広場のタベブイア・アルバ
                   http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ipe-amarelo_curitiba.jpg  より写真引用
View of Curitiba, Brasil. Rui Barbosa Square.
End of Winter and Tabebuia alba (ipê-amarelo) blossoming.
       20 August 2006
 
Familia: Bignoniaceae
Tribus: Tecomeae
Genus: Tabebuia
Species: Tabebuia alba
Classification System: APG III (down to family level) Main Page
Regnum: Plantae
Cladus: Angiosperms
Cladus: Eudicots
Cladus: Core eudicots
Cladus: Asterids
Cladus: Euasterids I
Ordo: Lamiales
2014年7月26日追記:
                              
送信日時:2014年7月23日 14:24:52
             
池田さん 前田さん 小出さん
                  有隅です
 
「池田ポンポン」はTabebuia alba(=Handroanthus albus)だと同定していましたが、今回私が頂戴した種子からの植物は異種(恐らくT.serratifolia)ではないか、と思いました。その理由は、以下のとおりです;
 
(1)この「池田ポンポン」関係で、私が最初に落掌したのは、前田さんから頂戴した実生小苗8株でした。
 
(2)この実生苗の特徴は、葉の表に皺が目立つこと、また葉裏が白っぽいことで、恐らく成木になったらその成葉の葉裏は、「種名」の元になったalbaそのものになるのではないか、と思っています。
 
(3)次に池田さんから私のところに直接、5種類5袋の種子池田「2‐1」「2‐2」「3」「4‐1」「4‐2」が送ってきました。多分「2」「3」「4」の3種類だったのかもしれませんが、私は袋別に別々に取扱うことにしました(合せることは何時でもできますので)。
 
(4)この池田さんからの直接の種子の他に、ほぼ同じ時期に、前田さんを通じて2種類の種子を落掌しました。種子の色が違っていることから、前田さんに準じて池田・前田「黒」「白」と呼ぶことにしました。
 
(5)これらの種子は、春暖かくなってからというので、この3/29に播種しました。それで現在、7種類の実生小苗と最初の「前田実生」の合計8系統が、私のところで育っていることになります。
 
(6)さて種子からの実生で「前田実生」(=T.alba)のソックリサンは、池田・前田「白」のみで、他は葉の裏が緑で、皺も余り目立ちません。同じ「種」とは、到底考えられないのです。その一番大きな特徴は、葉縁に顕著な鋸歯がある点です。それでずばり学名通りのT.serratifoliaではないか、と思いました。
 
(7)ところで橋本梧郎先生のTabebuia属の検索表で、T.serratifoliaは何と「葉縁は全縁」の部類に入れられていて、「時に鋸歯がある」と記載されています。「時に鋸歯」で、何で「serratifilia」になったのでしょうか? 矛盾を感じます。
 
(8)一方、図鑑ARBORES BRASILEIRAS(この文献も原版のポルトガル語版と英訳版で、写真に食い違いがある場合があって、若干信頼が置けない)を見ますと、T.serratifoliaの花房は各小花の花柄が短いので、全体がキッチリ詰まった薬玉状の、ポンポンと呼ぶにふさわしい花房を呈しています。
 
(9)これに対してT.albaの花房は、複合花房とでも呼んだらよいのでしょうか、複数の小花房の集まりになっていますので、小花数自体は数が多いのですが、全体がルーズで、バラケタ花房になっています。キッチリした薬玉状ではないのです。
 
(10)さて、池田さんにお願いしたいのですが、今回お送り頂いた種子から育ちつつある実生の様子を見ますと、私には2種類の「種」がごっちゃになっているように思えます。1つはT.alba、そして今ひとつを私はT.serratifoliaではないか、と考えました。
採種をされた原木(親木)をご覧になって、1つは葉の裏が白ポクッて、大きいがしまりのないルーズな花房、今ひとつは葉の鋸歯が際立った、コンパクト花房ではなかったでしょうか? ご確認を願えたら、有難いです。

Tabebuia Serratifolia の写真です:
2015年11月17日追記
有隅先生のコメント:
   植物の分類階級でいうと、界、門、綱、目、科、連(族)、属、節、列、種と続きますが、われわれが普通に(普通の生活の中で)問題にしているのは何科、何属の何という「種」かということ(familygenusspecies3つ)です。・・・途中略・・・
   先ずTabebuiaなのか、Handroanthus なのか、Roseodendronなのかということ(最近の分類で昔のTabebuia属は3属に分けられるようになった)、次いでHandroanthus 属のalbusなのか、chrysotrichusなのか、heptaphyllusなのか、impetiginosusなのか、ochraceusなのか、それともserratifoliusなのか、ということです。・・・途中略・・・
   ところで「品種」ということが、しばしば問題になります。先ほどの分類階級でも実は「種」の下に、更に「変種=variety」と「品種=form」という分類単位が出てきます。品種という言葉がちゃんとあるのです。 ・・・あと略










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2015年10月14日水曜日

ブラジルでゴールドラッシュ

 2015年10月14日に進行中の夢のような現実のお話です。ブラジル在住の私のメル友、榎原さんからの10月14日の情報です。1ヶ月前から始まり、2週間前から15,000人の人々が金(キン)を探し始めました。下の写真と情報を送ってきた榎原さんの知人は1週間弱で1Kgの金を手に入れられたとのことです。1,300万円相当です。その後も必死で頑張っておられることでしょう。  地権者など、権利関係者によるお金儲けのスキーム作りが完成する前の短期間の出来事かもしれません。
 以下、榎原さんからのメールと、榎原さんにその知人から送られた写真をそのままコピペ致します。とくとご覧ください。ちなみに、金塊の上に乗せられたコップはピンガ(強いお酒)と思われます。このブログをご覧頂きました全ての皆様と、ご関係者のご幸運を心からお祈り致します。


  以下、榎原さんからのメール:
 添付致しました写真は、今MT州(前田註:マットグロッソ州)の田舎;(PONTES&LACERDA)で金の採掘をしている知り合いから送られてきた写真です。この鉱山には、一攫千金を夢見てやって来た約1万5千人が、2週間程前から金の採掘をしています。以前から、カナダ系資源開発会社が金の埋蔵量調査をしていた場所です。この調査結果によると、どうやら、ブラジル一を通り越して世界一の金の埋蔵量がある模様です。そして、この調査結果が外部に漏洩したことにより、この噂を聞きつけた連中がブラジル全国からやって来ているそうです。普段は、団結力などこれっぽっちも持ち合わせて無いブラジル人ですが、この類の話での、彼らの(特に、親戚・友人間)情報伝達の早さや正確さには、ただただ驚かされるばかりです。私は過去に、サンパウロ近郊の市所有の土地が、ほんの一夜で住民に占拠されて、ファベーラ化(貧民街化)された光景に遭遇しましたが、こういった時の彼らのエネルギーの凄まじさには、脱帽してしまいます。残念ながら、この種エネルギーはもう日本人がとうの昔に忘れてしまったエネルギーかも知れません。

  少し誇張した連絡かも知れませんが、彼はこの鉱山に遣って来て1週間弱で、約1キロの金を採掘したそうです。今の国際市場価格は14万ドル弱(キロ)ですが、鉱山での現地渡しの売値は11万ドルが相場のようです。彼からの連絡が真実で、その他の1万5千人の作業結果が同レベルだとすると、途轍もない金額になります。今は穀物栽培や牧畜で興隆を極めているMT州は、約30年程前に、様々な事情を抱えて、なけなしの資金を持って、ブラジル南部からやってきた国内移民を受け入れながら、発展してきた州です。私の仕入先のオーナーの中にも、金の採掘で成功して、その後木材業に身を転じている連中がいます。

  現地での金の採掘が始って以降約1ヶ月経過していますが、今まで犯罪らしい犯罪は起こっていないそうです。「そんな暇があったら、金を掘っている方がましだ」ということでしょう。現在のところは、全国版報道はされていませんが、報道された場合には、全国各地からかなりの連中が押し寄せてくることが充分予想されます。そのような規模になったら、その上に酒と女が加わり、無法地帯化されるのが常です。今迄、全国規模での報道に至っていないのは、地元やMT州政府の政治家、警察、IBAMA等の火事場泥棒達がそれぞれの思惑で、お金儲けのスキーム作りをしているのでしょう。

  余り品のある話ではありませんが、一方、ブラジルの豊かさとかブラジルの国のレベルを再認識させてくれる出来事です。    榎原

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  ちなみに、過去の世界最大の天然金塊に関する情報をネットから引用します:
  天然金塊の中で最大のものは、1872年にオーストラリアのベイヤーズ&ホルターマン・スター・オブ・ホープ鉱山で発見された「ホルターマン金塊」で、214.32kgの金塊の中には99.8kgの純金を含んでいました。最大の純金の金塊は、やはりオーストラリアで産出された「ウェルカム・ストレンジャー」と名付けられた金塊で、70.92kgの塊から純金69.92kgが採れました。出典:田中貴金属