この力石は、霧島市国分川内向日山にあった(現在のご当主町田郁夫氏談)清凉寺の住職、町田次郎兵衛をご先祖にもたれる町田家に伝わっています。清凉寺は明治初頭の廃仏稀釈で消滅したようですが、現在のご当主も仔細をご存じではありません。ご住職の町田次郎兵衛は現在の町田家の地に住み、西郷さんはこの町田家を定宿にしておられたとのことです。
ご住職は身長188㎝あり、180㎝の西郷さんと大変懇意で、西郷さんの狩の案内も務められたようです。
昔は遊びごとが少なく、江戸末期から明治にかけて「力石」との格闘が日本の若者の遊びの一つとして流行ったようです。無数の「力石」が国内に残っています。西郷さんは流行の先端を国分川内に持ち込んだことになります。
せごどんの力石を持ち上げた
動画撮影秘話: 撮影者は家内です。私が石を持ち上げた瞬間にシャッターを切るようにとの指示に従って執拗に私を映し続けていますが、最初からカメラの設定が「動画撮影」になっていたようです。家内がシャッターを切った瞬間、動画撮影が終了しただけで、写真は存在致しません。シャッターを切るタイミングが遅れたので、奇跡的に録画できました。
せごどんの力石 :寸法を測った方がおられて、42×33×43㎝ とのことである。
このデータを元に重量を計算した。
石の平均直径=(42+33+43)/3=39.3cm
V(体積)=4/3πr3 (4/3×パイ×アール三乗)
より、V=31,768㎤ (≒0.3㎥)
安山岩の比重=2.7~3.0をかけると、85.8~95.3Kg,
一口で言って、90Kgはありそうだ。
古い文献で、20貫との標記があるが極めておおざっぱである。これが25貫なら95Kgである。
せごどんの力石
「広報きりしま」より引用:
国分川内「西郷どんの力石」
西郷どんが国分地方に狩りに来たときの宿は、大抵は川内の町田次郎兵衛宅でした。次郎兵衛は清涼寺の住職で、身の丈は六尺二寸(一八八センチ)もある巨漢。西郷どんの狩りの案内人でもあり、話し相手でもありました。
「西郷どんが来ると、近くの青年が大勢集まってきて、狩りの話をしたり鹿児島の話を聞いたりしました。中でも力自慢の青年は相撲を取ったり、石を持ち上げてみたり、力比べをよくしたといいます。 西郷どんは若者たちと一緒になって、よく遊びました。そのとき力比べをした石が、今も町田さん宅の庭先に残っています。重さは約二〇貫目(約七五キロ)で、縦横三〇センチの丸い石です。
註:前田は、石の平均直径は(42+33+43)/3=39.3cm で、重量は90Kg前後ありそうだと思っている。
註:前田は、石の平均直径は(42+33+43)/3=39.3cm で、重量は90Kg前後ありそうだと思っている。
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